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あの事件は起きて当たり前だったと思う。
実は私は、前に事件の起きた東京ジョイポリスの、あのアトラクションで働いていた。
現場、というか裏方はひどいものだった。
一人のボス格の人間が実権を握り、自分のやりやすいようにスタッフが応じなければ無視するよう他のスタッフにいう、そんな職場だったのだ。
事件の起きた機械は、安全確認の説明とアトラクションの説明を終えるとあとはボタンを押してそれであとはアトラクションが終わるのを待つ、それだけの作業だったので、ボタンを押したあとは携帯ゲーム機をしたり、アトラクションのスタッフを客から見えないところでしゃべって時間をつぶす、そんな現場だった。
時間つぶしに現場に禁止されているノート(コミュニケーションノート)を作ったり、アトラクションから降りるときの女性客のスカートの中ののぞき方など、現場で行われていたモラル無視のルールは数限りない。
私はまじめにマニュアルに沿って仕事をしていた。するとボス格の人間から「おまえは協調性がない」と評価され、無視されるに至った。
それで、私はこんな現場ではいつか何か起こるに違いないとバイトをやめ、お台場に行っても女医簿リスには彼女を誘ったりしないようにした。
今回の事件は起こるべくして起きた事故である。同時に、セガという会社がいかに愚かであるかを証明した事故でもあったと思う。
被害者のご冥福をお祈りします。
以前私のサイトで掲載していたマンガ「トリコロ」の二次制作(つまり同人)が、新たにリニューアルして帰ってきました。タイトルは「八重の日記 七瀬家の日常」。
マンガに興味のない人には全くわからない話でしょうが、これ読んで面白いと思った人は原作にはまってください。
サイトのアドレスは
です。
タイムの隠れFanも探すぞ~! とっとと出てこい。
もちろん一般の方も大歓迎です。
初回みましたけど、要は「原点回帰」でしたね。
一本目の「手ばり」ネタは大山のぶ代さんが「こんな面白いマンガの声をやるなんて」と絶賛して参加を決意した作品。テレビ朝日も最近のドラえもんの質の低下を反省して原点からやろうと思ったんでしょう。
ドラえもんの声が高い、という批判もあるようですが初期のオリジナルもかなり大山さんの声は高かったです。だから自然となじんでいくものかと。
しかし新作、としてみればいいものをどうしてもオリジナルと比べてしまうので、なんか個々のキャラがバラバラに感じるんですよねぇ。「のび太やジャイアンははまってるけどスネ夫やドラえもんはイメージと違う」とか。そのせいで評価がどうしても低くなる…。
のび太のママはまあ、イメージ通りかと。パパも。あとはしずかちゃんのママは…。
いずれ出てくるであろうおばあちゃんにも注目。あと数回は様子見ですね。
私はよくラジオにネットから応募して、結構読まれる方なんですが、最近感じるのは「読んであげたから記念に何か差し上げます」的な記念品がなくなったこと。
葉書時代には一枚一枚丁寧に書き込んでいたせいかよく記念品を設定していたものですが、BBSへの自由な書き込みになってからそういうのがなくなったような気がします。
ラジオ局にもよるのでしょうがBBSへの書き込みも面白いところだけ取って全部は読まない、みたいなところが増えましたし。
アニメファンなら「靴ひも」とか「クリップ」、「ファンの集い」とかあったの覚えているでしょう。今はそういうのなくなっちゃいましたもんね。
なんかラジオとの距離が身近になった一方で軽視されるようになったような気もして悲しいです。
中国・韓国での反日感情が激しい。このことは重大なことだ。
私は右翼主義者ではないが、今回の中韓の感応には違和感を覚える。
それは、「反日感情」が政治的に使われていることだ。
特に中国は、自国の政府にデモが起きないよう、日本に対するデモ行為(暴力行為)を黙認している。
時刻の政権維持のためにかつての戦争行為を持ち出している。
韓国も含め、常に両国はそうだ。すでにかつての会談で第二次世界大戦の賠償については一定の解決を得ているものを再び蒸し返してそれを根拠に日本を排除しようとする。
この原因は55年体制が崩れた社会党の村山富市が首相になったときに始まったと思った。
あれだけ対立していた自民・社会党が組んで、連立政権を組織し、韓国などに謝罪を行った。そのことが、日本を甘く見られるきっかけになったと考える。
首相の靖国神社参拝や閣僚の失言など日本政府にも責められる点はあるが、基本的には「植民地」として被害者となった両国民の感情が、彼らが社会的地位を持つにつれ、「反日教育」といわれる旧日本人の悪行を協調するような教育をしたことの原因があるのではないだろうか。
中国の「反日デモ」には裕福なインターネットを使用できる大学生などが中心となって行われているという。彼らは将来エリートを約束された身だろう。将来要職についた際に日本側に強気に反撃できる実績を作っておくためにも今回の一連の運動に参加せざるを得まい。
一方で地方格差の激しい中国の貧しい農民達の反応が伝えられないのが気になる。彼らはどう考えているのだろうか?
そういった大局的な・総合的な情報も無しに議論が進んでいる各新聞・メディアの論調に私は違和感を覚えざるを得ない。
初めましての方も、そうでない方も。折笠です。
間が開いちゃってごめんなさい。
さて、今日の話題。駅前の小さなコンビニでちまたで噂の「無炭酸コーラ」をついに発見(というか偶然ですけどね)。
噂には聴いていたけど紙パックのコーラってどんなんなんだろうと思いつつ手に取ってみると『乳酸菌飲料(!?)』の文字が。
コーラってコカインじゃなかったの? 健康的になっちゃったのね…。
味は…
……微妙。ヤクルトに昔駄菓子屋で売ってたコーラ飴溶かしたような味。
それよりも書いてあるコピーの方が笑えます。
「飲んでみて、おいしくてビックリ 思わずだれかに教えたくなる、不思議なドリンクです。」
…そりゃ教えたくもなるわな。「無炭酸」「紙パック」「乳酸菌飲料」「日清ヨーク」とわけわからん言葉を並べられたオチが「コーラ」じゃだれかに話して笑いの種にしたくなるのが関の山。
一度話のタネに飲むことはおすすめしますが二度と飲むことはおすすめしません(爆)。
そんな飲み物でした。
…とまあ、こんな風に言いたいことを言いたいように書いている私のブログです。日記はブログには書かない主義、というかサイト
の方で書いてますので良かったらそちらをご覧ください。
「らき☆すた」に関して語るにはまず、角川書店の大まかな会社体制を説明しなければならない。
角川書店に関しては、角川春樹体制以降から退任までの期間に関してまず語る。
角川春樹は当時としては出版業界の風雲児だった。当時文庫といえば岩波など学術系の本ばかりを出していたのを、エンターテイメント作品の文庫化、というところに着目し、自社のみならず他社の作品も文庫化する、といった新しいジャンルを開拓した。そのため、自社作品を角川で文庫化されることをおそれた同業他社(講談社・光文社など)が自社作品を自社で文庫化できるように次々とエンターテイメント系の文庫が発刊された(光文社で発行されている三毛猫ホームズが光文社にも文庫があるにもかかわらず角川でまず文庫化されるのがいい例である)。
また、メディア戦略に関しても独自の才能を発揮し、70年代から森村誠一・小松左京を中心とした作家の大作を次々と映画化し、「人間の証明」シリーズ「復活の日」「戦国自衛隊」などのヒット作も生まれた。また、当時左翼からの転向をした笠井潔に目をつけ、「バイバイ・エンジェル」など4部作を発行したり、「ヴァンパイヤー戦争」(近年『月姫』の奈須きのこの尊敬で復刊された)を映画化するなどその独自の経営戦略は次々と角川の業績をアップさせた。
松任谷由美の「ルージュの伝言」も角川春樹の手によるものである。
徳間・学研に続きアニメ誌を創刊する際も当時流行していた「ガンダム」と手を組み「Newtype」というガンダムから取った雑誌名にするなどそのセンスは独自のものがあった。 バブル期になるとその映画の大作指向・冒険指向は先鋭化し、「天と地と」のような大作映画や「サイレントメビウス」などテレビ化もOVA化もされていない(ただしサイレントは本来予定していた映画がOVAの制作進行の遅れで代打として打ち出された、という経緯がある。しかし公開初日に反応を聞いた角川春樹が即日翌年の第二弾制作を決定する、という経緯をたどった)作品のマンガの映画化ということもやってのけた。
興行的には失敗したが「REX 恐竜物語」では原作がノンフィクション作家のフィクション作品であり、なおかつメディアミックスの例として当時角川専属だったCLAMPにマンガ化をさせるなど実験的なことも行っている。
同じような事例は同時期、エピック・ソニーもやっていたが、こちらは自社の音楽をドラマやアニメに積極的にタイアップする程度にとどまり、自社によるソフトの制作や展開までは行かなかった。シティーハンターの主題歌がエピック・ソニーのミュージシャンで占められていた程度にとどまる。
例外は、小室哲哉がTMネットワークを利用(?)して、「CAROL」という一大プロジェクトを行ったことぐらいだ。これは「CAROL」という一人の少女の物語を軸にTMネットワークとしてアルバム(レコードとCDの両方発売。曲順は両者で異なる)、メンバーの木根尚登による小説、当時同人から商業に移ってきていた高河ゆんによるコミック化(両者ともソニーマガジンズ)、映像展開の代わりにライブによるファン層へのアピールという角川春樹に近い展開を行ったことだが、その両者が結びついたのが邦画で上位十位に入る興行収入を上げた「天と地と」だった。
角川春樹監督・音楽小室哲哉という組み合わせは意外だったが、ただしこれは事前に角川が関係各社にチケットを買い取らせたためチケットは売れていても劇場はがらがら、という状態だったようだ。また、チケットは売れてもそれに近い制作費をかけたため利益率は事実上ゼロに限りなく近かったりもした。
しかし、そんな角川春樹の出版業界に巻き起こした旋風は評価されてしかるべきものだと思う。
問題は、そんな角川春樹の経営方針に反旗を翻したコミック中心の編集社員が独立して、角川春樹の弟である角川歴彦を中心に主婦の友社と提携して「メディアワークス」を立ち上げたことだ。この問題には先に挙げた「サイレントメビウス」も巻き込まれて、連載中断、本来予定されていた映画の完結編制作も中止という前代未聞の事態が起きた。この中にいたのが、後に角川春樹の逮捕後に角川書店の社長となり、また制作プロダクションとの協調を重視する方針の歴彦氏の方針に見合った、「多重人格探偵サイコ」(当時はJAPAN・MADARAの原作などを担当していた)の原作者である大塚英志である。
その後、角川春樹が大麻取締法違反で逮捕されるに至ると、弟の歴彦氏が角川書店社長(現CEO)となり、メディアワークス・富士見書房を角川グループに改めて参入させ、「月刊A」などを創刊した。
ここから誕生したのが、編集プロとの協調を大切にする歴彦氏の路線を象徴する「天空のエスカフローネ」「多重人格探偵サイコ」そして「新世紀エヴァンゲリオン」である。
なんの因縁か、小室哲哉はエヴァの制作会社であるGAINAXに「CAROL」のアルバムのジャケットを依頼している。
「月刊A」は何作か関連雑誌の創刊・リニューアル・休刊を繰り返し、現在に至っている。
そこから発生したのが「らき☆すた」だ。
掲載雑誌はコンプティークという老舗の(それでも昔よりはだいぶ変わったが)雑誌だが、だから「らき☆すた」のようなキワドイ部分のあるネタ(高校生が18禁ゲームをやっているなど)も実名ネタもやっていける。
中小出版社の芳文社ではできないようなネタも平気でやってのける。
時折出張する「A」ブランドは正直別物、といってもいいぐらいにそれぞれの雑誌の編集方針が違っているが(「新現実」すら「A」ブランドに入ってしまった)そのなかで芳文社系統といえる「らき☆すた」のような作品が入って違和感ないのはやはりキャラの見た目(設定)が「萌え」系キャラでその上雑誌によってネタを使い分けているからだろう(「A」のときは基本的にパソコンネタは使われていない)。
「らき☆すた」を読んでいて面白い、と思うのは女子高生がアダルトゲームや萌えにハマっているから、本来なら肯定すべき「オタクが怒りそうなネタ」もシビアに斬ってネタにしているところだと思う。読者層がパソコンについてくわしい老舗の雑誌ということだから許されているような、「A」に載せたら絶対苦情の来る様なネタを振ってくるところだ。まあ、役に言えばパソコンオタク以外から見れば「パソコンオタ」ネタをふっているともいえるが…
作品全体を「ヌルく」感じるのはコンプティークを読んでいない、単行本で読んでいる読者の一致した意見だと思う。双子姉妹もいればみゆきのような天然系キャラもいるし、シビアに突っ込む、それでいて常識人じゃない主人公もいるし。
ツッコミ役がまともでボケ役が複数いる、これだけの面子で面白い話ができないわけが無い。「萌え」の要素をあらかじめ分析してキャラ設定して、それでそれをあざ笑うかのように硬派な老舗パソコン雑誌で掲載する。
うまく「萌え」や「オタク」を逆手にとって作られた物語だと思う。
このまま順調に行けばよんこま漫画によくある「複数の雑誌で同時掲載」となりそうな勢いだが、個人的には「萌え」や「オタク」とは一線を引いたところから今のままのノリで掲載して行って欲しいと思う。
だって、当の本人の供述によれば「金で買える女だと思った」ですよ? いくら酔っぱらっていたとしてもそれはないでしょう。赤線時代じゃあるまいに。
かつて三木首相を当時「サンデー毎日」の編集長だった鳥越俊太郎氏がスクープして大臣に追い込んだ「神楽坂三本指事件」というものがありましたが、それ以上に今回の件は悪質だと思います。
別に女性を複数愛してもかまわないとは思います。しかし、「金で買える女だと思った」ということはつまり「SEXしたかった(性欲処理)」ということですよ。
それなら風俗行くなり噂されている「高級ヘルス」なりを利用したらよかったでしょうに。
今回の件は「酔っぱらっていた」ではすまされない悪質な案件だと思います。
辞職までのスピードが異常に速かったのは補選対策といわれても当然。自民党が辞職願を受理せずに除名処分にするのも全く正当なことだと思います。
女性を「(性欲処理の)もの」としてなんか観ないでください。
表紙に大きく『憲法九条』と名うってあったので買ってみたが、書いてあることは何のことはない、ただいくつかの団体や個人の取り組みや著名人にコメントを求めて好きに書かせているだけであった。
読んでて違和感を感じた最大の言葉は「(憲法)改悪」であった。複数の人間がこの言葉を使っていたがそのうち何人が改憲の問題点をちゃんと理解して使っているのだろう。社民党あたりが言い出したこの言葉は今勝手に一人歩きを始めている。
確かに九条は変えるべきでないと考える。しかし現実問題として今国際情勢や海外にも行けるようになった自衛隊の存在を考えると九条に限らない憲法の改正はある意味でやむおえないともいえる。
九条とそれ以外の憲法をいっしょくたにして「九条の改正は悪いこと」という事実を守るためとはいえ「憲法改正」を必要以上に宣伝するための道具として「改悪」という言葉は使われている。
「改悪」という言葉は一人歩きを始めた。今後時代遅れの規則が現実に則した形に改正される場合にも反対派はこの言葉を持ち出すだろう。
「改悪」。便利な言葉である。